いつも前を歩いてくださっている方 ― 富弘さんとの対談の思い出

   2012年9月22日土曜日は生涯忘れられない素晴らしい日でした。この日の午後、群馬県みどり市の富弘美術館で、星野富弘さんと共に講演と対談をさせていただきました。2012年は東日本大震災の翌年で、年の前半は被災地に綾子さんの本を贈ろうという活動をしましたが、もう一つの大きな行事が、三浦綾子記念文学館と富弘美術館が交換展、という年でした。光世さんが伺って対談できると一番良かったのですが、88歳で、もう難しい段階でしたので、特別研究員の私に思いがけない大役が与えられたのでした。
   富弘さんの体力の問題で、会全部で一時間程度にしなければならないという条件づきでしたから、二人のそれぞれの講演も対談も各20分ぐらいだったと思います。それでも、関東各地から大型のバスでたくさんの方がこの日のために来られ、遠くは富山から松原葉子さんのお友だちも来てくださいました。館の中央のホールには、椅子席だけでは足りず、壁際にもたくさんの立ち見の方々が出て、ぎっしり300人はおられたでしょうか。その中の最前列近くに富弘さんのお母さまも車椅子で来ておられ、ご挨拶させていただけたことは、本当にうれしいことでした。司会進行役は富弘美術館の桑原みさ子学芸員。交換展では大変お世話になった方で、柔和が服を着て歩いてるような印象の方でした。
 会ではまず、私が「三浦綾子の人生が語る愛の奇蹟と希望」と題して講演しました。時間が短いので、いろいろ話すことはできませんから、私の三浦綾子観の中心のところだけ、『道ありき』に書かれた前川正と三浦光世の“にもかかわらず愛する”〈馬鹿さ〉が三浦綾子の人生に奇蹟を起こしていったということについてお話ししました。勿論自己紹介も簡単にしました。
   そのあと、富弘さんが「道を開いてくれた人」という題で講演されました。富弘さんはまず、「今日は馬鹿な人から非常に馬鹿な人たちのことを聴いて、とても感動しました。私はあれほど馬鹿じゃないですけれども」というありがたい賛辞をくださってから、話し始められました。以下は要約です。

   普通、けがとか病気はマイナスの面ばかりあると思われがちですが、時には非常に素晴らしい働きをしてくれるように思います。私の場合、けががなかったら三浦綾子さんと出会わなかったかも知れません。そして、からだの不自由のおかげで、花を良く見て描くようになりました。けがのおかげで創作活動が始まり、三浦綾子さんと出会うことになったのです。   
   一番苦しい時に私の前を明るく力強く歩いている人がいた。でも、ある時、それは三浦綾子さんだけの力じゃないと気づいたのです。聖書の神さまだと気づいた。天井を見つめていたとき、全く動けず、先の見えない淋しい闘病生活でしたが、そのとき『塩狩峠』によって三浦綾子さんに出会って、「こんな人がいる。私もこの人のように生きたい!」と思ったのです。1970年にけがをして、72年に『塩狩峠』に出会って、74年に洗礼を受けて、生きることを前向きに考えるようになりました。マイナスに考えるのではなくて、こんな自分でも生きる価値があるんだと、ほんの少し希望の光が射したとき、足元の一輪の花の美しさに気づくことができました。そして花瓶の花を描き始めると、小さな花が大きく見えて、マイナスに考えていたことが、とても自分のためになっていることにも気づきました。
   1988年5月20日、三浦綾子さんが東村の家に来てくださって、対談をしました。そのときの『銀色のあしあと』は自分で読んでも良く出来ている本だと思いますが、いわば綾子さんが私の中から引き出してくださって出来た本です。
   三浦綾子さんを追っていたら、キリストと聖書の言葉があった。今私は詩画の活動をしていますが、三浦綾子さんが私の前を切り拓いて歩いてくださったのです。私の中では綾子さんは死んでいない。いつも前を歩いてくださっている。北極星のように道しるべになってくれている。私の行く方向を示し、直してくれる人です。

   「三浦綾子さんだけの力じゃない」と気づいたときに、富弘さんの中で転回が始まりました。綾子さんの本の目的も読書会の目的もここにあると思います。綾子さんだけの力じゃないから、私にもそれは起きる、私にも同じ希望がある、それに気づくことが大事です。
   いつも前を歩いてくださっている方々がおられる。その後を喜んで歩いてゆけることの楽しさ。もしそれを綾子さんに感謝したら、綾子さんはきっとこう言うことでしょう。
   「いつも前を歩いてくださっている方の後を、私も歩いてきただけなのよ」

   翌日は、群馬県内の全部の新聞にこの日の対談の様子が写真入りで報じられました。それを群馬県の方が送ってくださいましたが、見ると、どの写真も全部、大きい富弘さんと小さい私というアングルでした。下の写真は、その日(も今も)一緒に歩いてくださった方々。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。