そこに“居場所”がある ― 関西語り手養成講座を終えて

   今回の神戸での語り手養成講座には、東京、長野、大阪、奈良、兵庫、岡山、広島から8人が参加され、『道ありき』『塩狩峠』『母』『ひつじが丘』『氷点』『泥流地帯』『したきりすずめのクリスマス』をテーマに講演をしてくださいました。一人45分の講演と30分の批評会でしたが、今回の受講生の講演を聴き、指導しながら、一番思ったことは、語り手が等身大の自分を出せているかどうかということが非常に大事だということでした。それは同時に等身大の自分の言葉で物語れているかということでもあります。最後に投票で選ばれて公開講演会に出た二人が優れていたのも、その点だったと思います。
   講演には魅力的で聴衆の心を開かせる自己紹介や作品や主題に相応しい体験談を入れるようにと指導していますが、そこで大事なのは、講演が自分の人生を引っさげた自分の言葉であり、作品と拮抗できるだけのものになってるかということです。客観的な事実として綾子さんと同じぐらいすごいことが今までの人生にあったかどうかということではなく、『道ありき』であれば、自分の“道ありき”(または道のなさ)が深く意識できているか、『泥流地帯』であれば、自分の“泥流”がどれほど自分で読めているか、『したきりすずめのクリスマス』であれば、自分の“お化け”性をどれほど分かっているか、ということで、講演の深さも決まってくるということです。
   作品に照らされた私が自分の物語(その作品を読んだ読書の物語、あるいはそこからの探求の物語でも良いのです)を語る。すると、今度はそれが光となって作品を照らしてゆく。その時に作品が今まで以上の豊かさで輝き始め、語り始めるのです。だから、拮抗するだけの強さが必要なのです。三浦綾子読書会紀要『綾果』創刊号に掲載された近藤弘子さんの原稿、日吉成人先生の原稿をお読みくだされば、この拮抗の意味が分かると思います。たぶん礼拝の説教を書くときの“思い巡らし”における聖書との関係にも同じ原理があるだろうと思います。
   三浦綾子文学に出会ったときに、何らかの“心の居場所”を見つけた人は多いと思いますが、私がどう三浦文学と出会ったかを語ることはその原点的居場所を確かめて紹介することです。そして、それはたぶんそれぞれの“人生(全体)の居場所(置き場所)”を見つけることでもあるでしょう。今回の講演を聴きながら、その人が語っているその人の物語がその人自身の本当の居場所になっているのを何度も見ました。自分で語る自分の物語が人生の居場所でもあるのです。講演原稿を書くことは、三浦文学の物語や言葉に照らされながら、今までボロボロでどろどろで、スカスカ(あるいは逆にピカピカでカチカチかも)に感じてたかも知れない、あるいは大雑把な形すら自分で分からずにいた、自分の人生の物語の、本当のドラマと道(意味)を見出してゆく作業なのでした。『愛の鬼才』の西村久蔵先生を語る度に熱くならずにいられなかった弟子たちと同じように、その見出されたドラマと道の中に、いつでも帰れる“居場所”があり、それを物語ることそのものが今も私を生かしてくれる居場所でもあるのです。そして、それを語ることは自分の中でそれをもう一度見出し確かめることであると共に、そんな“居場所”があることを紹介し、愛をもって招くことでもあります。それを聴く人が、そんな居場所があったのか!?そこに自分の“居場所”もあるかも知れないと、希望を持ち始めるとしたら……、それが本当の“語り手”です。
   読書会に集う誰もがこの“語り手”になれる。その希望の確信を抱いた三日間でもありました。

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。