春を待つこころ ― 『天北原野』から

「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、 あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。       ヨハネ福音書20章15~16節

 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行きました。そして墓の外に立って泣いていました。彼女がこの世でただ一人愛する人、彼女にとっての命であった存在、彼女の心をその愛で満たしてくださった唯一の方が無残にも、死によって彼女から取り去られたからです。彼女はその人の墓に来ました。そこにあるのは彼女の愛の希望が本当の終わりになったことの確認だけでした。彼女は泣きながら身を屈めて墓の中を見ました。それは完全な暗やみ、春の訪れることのない冬の寒さであったでしょう。そのとき彼女は「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」と問われました。彼女は言いました。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」ここで彼女がこう言ったのは、愛する人の肉体への執着のゆえでもありますが、それと共に、彼女の中に生まれていた、愛する人の死を引き受けようとする心のゆえでもありました。だから彼女が「引き取ります」と言明したときに、その方は声を掛けてくださいました。限りなく慈しみ愛してくださる優しい声で、彼女の名を呼んで。「マリア」と。
   真に待ち望むことは、絶望を前提としています。待ち望もうとするとき、私たちは静かに受け入れつつ生きる忍耐を訓練されます。しかしそれは単なる忍従ではありません。そこではひとつの眼差しが私たちの中に形づくられてゆくのです。目には見えないものに目を向けることを学び始め、隠された神の計画と摂理を思い巡らす方へとゆっくりと歩みゆきます。たとえばそれは「冬来たりなば、春遠からじ」と気づいてゆくことであるに過ぎないかも知れません。しかしそこには季節を導き変わりなく冬の後には春を用意していてくださる真実さを信じる希望があります。冬であることを受けとめる心の中に、春はもう胚胎されているのです。そして、「マリア」と呼んでくださる声に振り向いた彼女が、かつてその方を呼んでいたように、否それよりももっと新しい声で「ラボニ」(先生)と呼ぶときに、彼女もまた新しいいのちの中に生き始めるのです。

 三浦綾子さんに『天北原野』という小説があります。北海道の北の果て、稚内から少し南に下ったところにサロベツ原野という広大な原野があります。物語は大正の終わり、その南西の海岸沿いの小さなハマベツという村(モデルは苫前でしょう)で始まります。崖に群れ咲くエゾカンゾウの花を見ながら、十七歳の主人公貴乃と村の小学校の教師孝介は結婚の約束をします。しかしそれを妬んだもう一人の青年完治は父親に「ほしけりゃ手に入れろ」とけしかけられ放火という手段で孝介一家を追い出し、貴乃を奪います。十年の月日が流れ、死んだようになって完治と結婚し三人の子の母となった貴乃の前に、樺太の鰊漁の網元として成功した孝介が現れます。孝介は貴乃への思いを断ち切れず、貴乃の力になりたいと、完治の妹でかつての教え子あき子を妻にします。しかしこの結婚はあき子を孤独に陥れ、あき子は不倫の果てにロシア人青年イワンの子を胎んだまま自殺してしまいます。孝介はあき子が書いた遺書によって自分の愛がエゴイスティクなものであったことを知り、少しずつそれを克服しようとする努力を始めます。昭和二十年八月、ソ連軍が国境を越えて押し寄せてきます。逃げ惑う民衆、死んでゆく人々、生き延びようとして大胆かつ卑劣な大逃亡を決行する完治もついに行方不明となります。また、北海道へ逃れるために孝介の母や貴乃の子供たちが乗った引き揚げ船は、ソ連の潜水艦によって撃沈されてしまいます。娘たちの骨壷を抱えて身も心もボロボロになった貴乃に父兼作は言います。「人間生まれてきた以上、幸せだけを受けるというわけには、いかねえんだ。幸せを受ける以上、不幸せも受けるしか仕方がねえ。」エゾカンゾウが咲き乱れるサロベツ原野を訪れた貴乃と孝介。ハマベツの時から二十五年を経て再び向かい合う二人。しかし貴乃は自分が既に死の病に冒されているのを覚っていました。
   イエスの死体を引き取ろうとしたマリアのように、苦難に満ちた宿命的人生の一切を受けとめる貴乃に、ひとつの啓示と呼ぶべきものが与えられます。

   貴乃はふと、戦争のあった日々も、樺太に生きていた毎日も、いや、人のまだ住まなかった太古の昔から、この原野には、毎年エゾカンゾウが一面に咲き、あの利尻富士はあのように美しかったのかと、深い感動を覚えた。この自然が美しくつくられていることに、貴乃は言い難い感動を受けたのだ。この与えられた自然にふさわしく、人間もまた美しくつくられたのではなかったか。
   貴乃は、ハマベツで自分を犯した完治を思った。そして完治に、出刃を突きつけた自分を思った。片手をもがれて、浜べに打ち上げられた千代のむくろ、そして、今もなお海のどこかに眠っている弥江の亡骸を思った。
   利尻岳にかかった雲が、夕光にいよいよ茜に映えて、それはもう荘厳とより言いようのない姿だった。ひどく静かだった。花原を吹いていた風も、いつしかぱったりと落ちて、この原野に孝介と貴乃の只二人だけが立っていた。貴乃は今、死も生も忘れていた。それを超えた感動が貴乃の胸をつらぬいたのだ。半円の太陽がみるみるうちに、原野の向こうの低い林に姿を消して行った。と、大空に斜めにかかった鰯雲が炎のように燃えはじめた。

   死に物狂いの抗いから忍耐へ、忍耐から待ち望みへと成長していった貴乃。そして再び訪れる春を待つように、この北の果ての地で長い年月を静かに真実に待っていた貴乃のこころ。イエスのゲツセマネでの祈りが人間的希望のない待ち望みであったように、子どもたちを失った貴乃が、遂には自分の命の時間と共に、孝介との愛の成就の可能性さえも失うことで、具体的には何の希望も持てないまでにされて、それでもなお何かを待ち望む姿勢を崩さないでいるときに、彼女に大いなるものが、世界の摂理と神の真実さとが開示されることになるのです。苦難に満ち、死に物狂いで、血みどろであったはずの人生と世界が、摂理に目覚めた貴乃の目に、この上もなく美しくなつかしいものになりました。春を待つ心は、海と山と国々と人間と天と地と、すべての被造物の世界一切のなつかしみへと彼女を導きました。そしてそのとき、彼女の生もまた、燃える鰯雲のように一瞬のしかし永遠の燃焼のなかに回復されるのです。
   真に春を待つ心は、冬の厳しさを知る者だけに与えられるものです。そして冬を受けとめながら、目を上げてゆこうとする者のうちに形作られてゆくものです。ギプスベッドに縛りつけられていた堀田綾子のなかで、味土野で山鳴りを聴いていた細川玉子のなかで僅かに始まりかけていたものも同じです。待つことは、諦めることではありません。良き訪れを信じ期待することです。ゆだねつつも、眼差しを注ぎ続けることです。温めることであり、自分自身のエゴを繰り返し投げ捨てながら、訪れに備えてゆくことでもあります。そうしてゆく中で、人の心は温められ清くされてゆきます。待つことは愛であり、祈りです。そうして、愛が鍛えられてゆくのです。芽吹きのときのために。
   世界を覆っているコロナ禍の冬もまた、必ず終わって春を迎えるときが来ることを待ち望みたいと思います。旭川市両神橋から見える美瑛川河川敷の川柳にも、春が始まっています。

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。