心の中に灯がともったのだ。


   1952年7月5日は三浦(当時は堀田)綾子が洗礼を受けた日です。1949年6月の春光台での経験以降、前川正から贈られた聖書を読み、前川正と一緒に教会に行くようになった綾子でしたが、病状が進んでしまいました。旭川の赤十字病院、さらに1952(昭和27)年3月には札幌医大病院に転院し、ついに結核菌が脊椎をむしばむ脊椎カリエスの診断が下りました。
   自身も結核療養中の前川正は同じ日本基督教会の札幌北一条教会の長老で洋菓子店を営む西村久蔵に、綾子の見舞いを依頼しました。前川正が自分の命短さを意識しながら、自分に与えられた堀田綾子という魂をイエス・キリストのように愛したのだとすれば、西村久蔵もまた心臓の弱さを抱えながら、イエスの十字架を信じる信仰へと綾子を導いた人でした。綾子は西村先生との聖書の学びの日々を通して、自分の罪を知るようになるのでした。
   それは、ある日、隣の女性患者が、綾子に悩みを打ち明けたことがきっかけでした。女性患者の言うには、彼女が長く療養している間に夫が会社の若い女性としばしばコーヒーを飲みに行っているらしい。それが心配で、悲しくて仕方ないというのでした。綾子はそれを聞いて激怒しました。もし、自分が札幌に入院している間に前川正が他の女性とコーヒーを飲みに行ったらどうだろう。どれだけ不愉快かわからない。ところが、そのころ綾子は数年前に婚約解消した西中一郎の訪問をしばしば受け、それを楽しみにしていました。西中は既に結婚しており、綾子には前川正という恋人がいました。綾子は自分の中に、他人を計る尺度と自分を計る尺度と、二つの物差しを持っている自分がいると気づきました。人のしていることは悪い、でも自分のしていることは悪くはないのです。ここに自己中心の罪がある。そして〈罪意識のないことこそが最大の罪ではないか〉と思い、イエス・キリストの十字架の意義が綾子なりにわかったのでした。この罪についての考え方は後の小説『氷点』の辻口夫妻などによく出ています。
   1952年7月5日、綾子は、札幌医大病院のギプスベッドで札幌北一条教会の小野村林蔵牧師によって病床洗礼を受けました。ギプスベッドというのは、脊椎カリエスの人が背骨を動かさないように固定するために、その人の背中の型の穴があいた石膏でできたベッドで、入ると首から腰まで全く動かせなくなります。この日「立ち会う人は僅かに越智、山田の両看護婦さんだけの病床受洗である」と『道ありき』にはありますが、越智一江さん本人にうかがったところでは、そこには前が見えないほど多くの人がいたとのことですから「立ち会う人」とは洗礼式の証人という意味のようです。

小野村先生の痩せた手が私の頭に置かれた時、私は深い感動に涙が噴きこぼれた。銀の洗礼盤を持った西村先生の頬にも、大粒の涙が伝わるのを見た。(『愛の鬼才』)

   そして綾子自身思いがけないことに、涙と共に、内から喜びが溢れてきて、止まらなくなったのでした。そして続いて讃美歌199番「わが君イエスよ」(「暗き旅路に迷いしを」の歌詞を含む)が歌われたとき、綾子は西中一郎に助けられたあの斜里のオホーツク海の暗い夜を思い出していました。本当に危ない迷い人だった私を死なせなかった方がおられた、私を背負ってここまで連れて来てくださった方がおられた。綾子はそう痛感したでしょう。

   その席で西村先生は、私のために祈ってくださった。その祈りの言葉は、嗚咽の中に幾度か途絶えた。
   「この病床において……この姉妹を……神のご用に用いください」
   祈りの中のこの一言が、今も私の耳に残っている。病床においても、用いられるのだという喜びが、この一言によって湧いたのだ。癒されるにせよ、癒されないにせよ、病床が働き場であるならば、自分の生涯は充実したものになると、私の心は奮い立ったのである。西村先生の生き方にわずかでもふれた私は、キリスト者とはすなわち、キリストの愛を伝える使命を持つ者であると、固く信ずるに至った。その信じた延長線上に、現在の小説を書く私の仕事もあることを思わずにはいられない。  (『愛の鬼才』)  

   小野村林蔵牧師と会ったのはこの時が最初で最後でしたが、小野村先生は、綾子に「必ずなおります」と静かに語りかけました。確信に満ちたその言葉は、その後の長い療養生活の中で、彼女を慰め励ましました。
 札幌に来る前、自宅療養時代の綾子は気難しさで家族を困らせるときもあったようですが、洗礼によって綾子は変わりました。心が変わったからです。この洗礼式で読まれた聖書のとおりでした。

「これキリスト父の栄光によりて死人の中より甦えらせられ給いしごとく、我らも新しき生命に歩まんためなり」(新約聖書ローマ書6章)

   三浦綾子は『道ありき』に、こう書いています。

   うれしくて、うれしくてならなくなった。心の中に灯がともったのだ。

   重要なのは神学ではありません。理屈が理解されることではありません。誰にも本当には理解などできないのです。大事なのは確かな喜びの体験です。自分で追い求めたのではないのに与えられた、決して否定できない、圧倒的な喜びの体験です。「新しき生命」とは、喜びに満ちたものなのです。春のいのちたちが現し見せてくれるそれにも、よく似ています。こうして新しい綾子のいのちは始まりました。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。