多くのドラマの起終点―旭川駅開業122年
旭川駅は、1898(明治31)年7月16日北海道官設鉄道上川線の駅として開業しました。木造駅舎で、駅前には小沼が点在しヤチハンノキの巨木が立っていました。当時の読みは「あさひかわ」。8月12日に天塩線(現在の宗谷本線)開業。1899(明治32)年9月1日には十勝線(現在の富良野線)開業。同じ年に三浦綾子文学館がある外国樹種見本林の植樹も始まっています。
1905(明治38)年4月1日、読みを「あさひがわ」に変更。光世さんは「あさひがわ」と言っておられましたね。
1909(明治42)年2月28日、塩狩峠での殉職事故。当時、長野政雄さんはここに勤めていました。この年10月12日に、線路名称制定により旭川駅は函館本線所属となりました。
1930(昭和5)年5月から56(昭和31)年6月まで、旭川市街軌道の路面電車が駅前に乗り入れていました。1949年6月に前川正さんと綾子さんはこの路面電車に乗って春光方面へ、それから歩いて春光台へ行きました。
三浦文学に主に登場する旭川駅は『氷点』『道ありき』『この土の器をも』「貝殻」は1913(大正2)年に竣工した2代目駅舎、「尾灯」「喪失」『自我の構図』は1960(昭和35)年に竣工した3代目駅舎です。
※写真は旧駅舎閉鎖直前のころ、駅正面入口左横にあったニポポ像と光世さん。ニポポは「小さな木の子ども」の意ですが、旭川駅のは風貌も大人っぽくて、かなり大きな子どもでした。
1973(昭和48)年11月15日、北海道新幹線の終点が旭川市に変更され、札幌-旭川間が全国新幹線鉄道整備法に基づく基本計画線に制定されました。今では昔の夢という感じですが、現在の旭川駅も新幹線が停まりそうな外観ですね。山陽新幹線の徳山駅と同じ建築家の設計だそうで、よく似ています。
1987(昭和62)年4月1日、国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となり、翌年88(昭和63)年、読みが「あさひかわ」に再変更されました。
2008(平成20)年3月16日、夜行の特急「オホーツク」最終運転。旭川駅を経由する夜行列車がなくなりました。1995年9月、福岡女学院時代に学生と一緒にサロベツ原野を見たあと、稚内発の札幌行き夜行に乗ったことを懐かしく思い出します。
2010(平成22)年10月10日、駅を中心に約3.5kmが高架化し、旧駅舎から約70m南に造られた4代目の現駅舎が一次開業、仮使用開始しました。※写真は富良野線のみ旧ホームを使っていた移行期の様子。北彩都ガーデンも整備されていません。右端の樹木は残されてガーデンの中心として木蔭を作っています。
2011年(平成23年)4月1日には東口すぐの氷点橋(北彩都橋と連続)が開通し、11月23日には駅舎が全面開業しました。
2015年(平成27年)3月、イオンモール旭川駅前が開業。7月31日にはあさひかわ北彩都ガーデンがオープン。数年を経過した現在は植物も根付いてガーデンとしても落ち着き、鏡池畔にはテラス付きのスターバックスもオープンして、神楽岡公園までの一帯は憩いの場となっています。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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