「会わないでいることも、時にはすばらしい」― 旭川空港と『果て遠き丘』

   恵理子は、自分の顔色が青ざめていくのを感じた。   
   「鈴村はきっと、またあの妹のことを、ぼくに頼むというと思うんです、今までは冗談半分だったけれど、今度は本気で……」
   セスナ機が再び空港に近づいてきた。   (『果て遠き丘』「起伏」)

   今日、2020年10月1日、旭川空港(北海道東神楽町、旭川市)は完全民営化されました。北海道エアポート(HAP、千歳市)が空港ビルなどと共に、同空港の滑走路や駐機場を管理・運営します。道内空港の完全民営化は新千歳(千歳市)に続き2例目ですが、道内7空港の民営化を担うHAPは21年3月に残る5空港をまとめて完全民営化する予定です。
   旭川空港は、北海道第2の都市である旭川市中心部から南東に約16km(バスで約35分)の田園や唐松林に囲まれた丘陵地帯に位置しています。道北の経済、文化、観光の中心である旭川の空の玄関口です。空港の東側には、日本最大の国立公園である大雪山連峰と、十勝岳連峰の山々が連なっています。


   1966年6月に1,200mの滑走路を持つ第三種空港として供用を開始し、1980年、第二種空港に格上げ。以降2度の滑走路延長を行い、現在の滑走路は2,500m×60mの長さとなっています。除雪体制が充実しており、新千歳空港のように大雪で閉鎖されることがほとんどないため冬でも就航率が高く、2008年~2012年の5年間で降雪による欠航はわずか5便のみでした。ただし旭川空港の発着便は1日10~15便程度しかなく新千歳空港とは比べ物にはなりませんが。一方で年間約1億5000万円にものぼる除雪費がほぼそのまま空港収支の赤字ともなっています。

   空港には人けがなかった。駐車場に車が一、二台あるだけだ。東京往復一日僅か三便の。このローカル空港は、こうしたひっそりとした時が、昼間でもある。(同上)

   旭川空港は東京や名古屋、大阪(伊丹、関西)などの国内線のほか、2006年に初の定期国際線となる、ソウル便が就航後、近年では台湾の北海道ブームにより、2005年と2006年には300便を超える国際チャーター便が運航され、以降も年間150便程度が運航されてきました。年間利用客数は、2014年度で、国内949,645人、国際160,492人。
   HAPでは、道北・道東方面への送客を目的とした「広域ゲートウェイ」型空港として、「アウトドア・ビレッジ」をコンセプトにターミナルの増築、駐車場拡張、国際線ビルの増築と搭乗橋の増設に加えて、ホテルの誘致、自然体験型観光に関連した商業施設展開を計画しています。
   ただ、新型コロナの影響で空港経営は厳しい状況です。同空港の20年4~8月の国内外線の乗降客数(定期便のみ)は前年同期比82%減の8万8000人にとどまり、国際線は旅客ゼロが続いています。

   この旭川空港が舞台として登場するのが『果て遠き丘』です。1976年1月~77年3月『女性セブン』に連載された現代小説です。
   ダブルヒロインの一人である恵理子は家具デザイナーをしている恋人西島を送りに旭川空港に来ました。西島は恵理子に、北海道らしい清純で素朴な家具を作りたいという夢を語りました。貧しい家にも豪華な家にも調和する、使えば使うほど愛着を覚えるような家具が理想で、だから、まだ使える家具が捨ててあるのを見るとたまらなくなるのだと言いました。

   「持っているものを生かすってことが、難しいんだなあ、現代の人には」

 さりげない言葉ですが、このあたりにこの物語のテーマが見え隠れしています。持っているものを生かせないとき、人は次々と新しいものと取り換え続け、捨て続けてゆくしかありません。物も人も。じっくりと大事に熟させてゆく、ということの大切さを綾子さんは西島と恵理子に繰り返し語らせています。そんな、言わば〈待つこと〉を知っている二人の間では、言葉はいつも実のあるものであり、また深く受け取られるものでもありました。

   「ぼくは……あなたが現れるまでは、鈴村の妹をもらってもいいと、思わないわけじゃなかったんです」   
   ひっそりとした空港の前で美しい山々の起伏を眺めながら西島はいった。
   (あなたが現れるまでは……)
   その言葉を、恵理子は重い言葉として受け取った。   (同上) 

 ※写真は日本にスキーを伝えたレルヒの像。『積木の箱』の時代には鷹栖神社の近くにありましたが、空港に移設されました。

   西島は旭川空港から東京に向けて飛び立ち、本州を旅して、二週間後にまた旭川空港に帰ってきました。恵理子は西島を空港に迎えに行きました。恵理子にとって西島のいない二週間は長い二週間でした。でもその時間の中で、彼が自分にとって、なくてはならぬ人になっていることに気づいたのでした。そしてそれは西島も同じでした。
 空港で再会した西島は、言いました。

「会わないでいるということも、時にはすばらしいことだと、ぼくは今度の旅で感じたんです」
「あら、わたしもよ」            (同作「爆音」)

   合わない時間がすばらしいというのは、素敵な考え方です。本当の大人であるとは、そんな考え方ができるということかも知れません。今のコロナで会えない時間も、すばらしい時間にできたらと思います。
   『果て遠き丘』には冬の旭川空港も出てきます。鈴村の妹貴子が西島に会うために旭川来て、空港から西島に電話しているのを立ち聞きしたもう一人のヒロイン香也子(恵理子の妹)は、その待ち合わせ場所に恵理子を連れてゆくという意地悪をします。幸せな二人を誤解させ、疑わせ、混乱させ、嫉妬させ、その幸福を壊すのが、香也子には何よりの楽しみだからです。でも、ゆっくりと醸されていった二人の信頼と愛に、小悪魔の罠は通用しませんでした。

   ずいぶん前に『果て遠き丘』を読んで、もう詳細を忘れてはおられませんか?でも、長く会わなかった時間を経て、もう一度出会う『果て遠き丘』と私たちの間にも、熟し醸し出されて来ているものが、きっとあるのではないかと思います。十代で読んだ『氷点』と五十代で読む『氷点』が違う味わいを与えてくれるのと同じです。
   『果て遠き丘』は現在版元品切れですが、三浦綾子記念文学館が最近自家製で復刊出版しています。字も大きく読みやすくなっています。どうぞお読みください。オーディオ・ライブラリーも電子書籍もあります。文学館のホームページからどうぞ。
https://www.hyouten.com/

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。