2020年6月15日(月) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「向うに見えるのが知床だよ。ゴメが飛んでいるだろう」 斜里の海で ① オホーツク海に面したS町に着いたのは、ちょうど昼頃であった。駅前を出たわたしの影が、地に黒くクッキリと短かったことを覚えている。 1949年6月のはじめ、堀田綾子はオホーツク海の「S町」(斜里)に出かけて行きました。結核発病後も数年間婚約をそのままにしていた相手西中一郎の家を訪ね、結納金を返して婚約解消し、死のうと思い定めていました。
2020年5月7日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 三浦綾子と天国の希望 上 綾子さんが天国というものを初めてはっきりと意識したのは、前川正さんが亡くなった時だったと思います。『道ありき』にはこう書かれています。 わたしはその時になって、初めて天国を思った。昨年の七月、敬愛する西村先生を失い、それから一年もたたぬうちに、前川正も天に召された。当時のわたしは、この世よりも、天国のほうが慕わしく思われてならなかった。
2020年5月1日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「一生懸命生きましょうね」と丘の上で彼は言った。 その日から、わたしたちは、友だちであることをやめた。 導かれつつ叱られつつ来し二年何時しか深く愛して居りぬ 吾が髪をくすべし匂ひ満てる部屋にああ耐へ難く君想ひ居り わたしは生まれて初めて、恋愛の歌を作った。 やがて雪がとけ、北海道にも春がきた。
2020年4月30日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子 病院の廊下に額をすりつけて祈る ― 綾子さんのお父さんのこと 私は十三年もの療養で家を傾けた親不孝な娘だったが、その病気の最中に、私の部屋に入って来て、 「綾子、弱く生んですまんかったなあ」 と、声をうるませたことがあった。長い療養中の娘に親が謝る……そんなことがあってよかろうか、私はその親心に深く打たれたものだった。
2020年3月19日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 コロナの時代に 前にしか進めない ― 茨城県取手市で読書会 今日3月19日(木)午後、茨城県取手市の取手ウエルネスプラザで三浦綾子読書会講演会が参加者11名で開かれました。コロナ禍で予約されていた部屋のキャンセルが多かったために広い部屋に移ることが出来てまばらに座れ、天気も良かったので換気も充分できて、快適でした。
2020年1月28日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子読書会 黒江勉さんをお見舞い 『道ありき』で綾子さんが旭川の日赤病院に入院していたときに出会う青年の一人に黒江勉さんがいます。黒江さんは前川正と同じ教会の教会員となり、三浦夫妻の終生の友人でもありました。1925年生まれですからもうすぐ95歳。とてもお元気で昨年まで、ギデオンでも活躍され、読書会にも参加され、車の運転もなさってましたが、昨年施設に入られました。1月11日土曜日札幌聖書読書会のあと、菅野美紀子さん、山田諭さん(とヘルパーさん)と一緒に、お訪ねして来ました。