2021年7月13日(火) / 最終更新日時 : 2021年7月13日(火) 森下 辰衛 三浦綾子読書会 “最後まで耐え忍ぶ者は救わるべし”- 黒江勉さんを偲んで 2021年1月28日、黒江勉(くろえつとむ)さんが95歳で亡くなられました。三浦夫妻と最も長い期間友人であった方の一人で、前川正と三浦光世の両方を生で見たことのある数少ない証言者の一人でもありました。 黒江さんは1925(大正14)年6月12日、父三郎さん、母トヨさんの第一子長男(五人兄弟となる)として札幌で生まれました。
2021年6月1日(火) / 最終更新日時 : 2021年7月30日(金) 森下 辰衛 おたより おたより ⑯ 最近いただきましたおたよりから、いくつかをご紹介します。熱烈なラブレターで、感激しつつ、恐縮以上にタジタジですが、強力なお励ましと、感謝しています。オンラインで講演しました内容をとても良く理解してくださっていますので、皆さまの参考にもなると思います。
2021年1月1日(金) / 最終更新日時 : 2021年1月12日(火) 森下 辰衛 三浦綾子 「お前の手に負える額ではない」―“馬鹿正直”な人の普通のお正月 昭和三十八年元日の夕べ、棚卸しでくたびれたわたしは、わたしの父母の所に年始に行った。父母は、わたしの住むすぐ近所に越して来ていた。わたしが長年療養したことも、祟ったのだろう。家も土地も売り払い、五軒長屋のような、小さなアパートに移り住んでいたのだ。年も七十を過ぎてから、長年住み馴れた家屋敷を手放すことは、どんなにつらかったことだろう。
2020年12月1日(火) / 最終更新日時 : 2020年12月1日(火) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 小林多喜二、いのちと家族の記憶-三浦綾子、守分寿男の仕事から 1903(明治36)年12月1日、小林多喜二は秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)に小作農家の次男として生まれました。少し古い資料では「10月13日」となっているものが多いようですが、それは旧暦の日付のようです。さて、小林多喜二と三浦綾子との関わりですが、1977年と言いますから綾子さんが『泥流地帯』を書いていた頃だったようですが、光世さんが綾子さんに小林多喜二の母を書いて欲しいと頼みました。
2020年11月28日(土) / 最終更新日時 : 2020年11月28日(土) 森下 辰衛 文学散歩 淋しくはない、キリストと話をしているから-三浦光世の父貞治 11月28日は三浦光世さんの父貞治(ていじ)さんの命日です。1927(昭和2)年32歳でした。貞治さんは1895年福島市に生まれ、20歳になるかならぬかで単身渡道、北見滝上に入植して開拓を始めました。十代のとき福島県の伊達でキリスト教に出会っていたようです。入植した滝上の滝西地区は両側から山が迫る狭い土地でした。
2020年11月25日(水) / 最終更新日時 : 2020年11月25日(水) 森下 辰衛 三浦綾子 あんたはわしの同労者や!-川谷威郎先生の思い出 11月25日は川谷威郎(かわたにたけお)先生の命日です。2009年80歳でした。旭川六条教会の牧師を務めたのは1961~76年の15年で、『この土の器をも』などによれば、綾子さんは1963年『氷点』を執筆中、人間の社会はなぜこんなにも幸福になりにくいのかと考え、罪の問題につき当たりました。そのとき、彼女の思索の支えとなり、多くの示唆を与えたのが、旭川六条教会の川谷威郎牧師の説教でした。
2020年10月29日(木) / 最終更新日時 : 2020年11月8日(日) 森下 辰衛 文学散歩 紅葉の観音台でお墓デートしましょう 「いつきても、ここは公園みたいだね」(略)どの墓の敷地も一律に二坪で、御影石の墓石も和洋のちがいこそあれ一定している。“藤戸家の墓”と書いた墓の前にくると、ツネが言った。 「おじいさん、またデートにきましたよ」(『果て遠き丘』) 観音台は三浦夫妻のお墓のある丘です。
2020年10月24日(土) / 最終更新日時 : 2020年11月3日(火) 森下 辰衛 文学散歩 香也子の住む丘 ー 高砂台の晩秋 『果て遠き丘』の舞台・高砂台の晩秋 。 三浦綾子さんは旭川を舞台にした多くの小説を書きましたが、『果て遠き丘』は『氷点』と並んで、最も多くの旭川の場所を描いた作品です。その中でも最も主要な舞台となる、ヒロイン香也子が住む高砂台を訪ねました。
2020年9月26日(土) / 最終更新日時 : 2020年9月26日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 洞爺丸遭難事件と『氷点』 『氷点』の懸賞小説入選が決まって間もなく朝日新聞からの依頼で、新聞小説の一日分三枚半を三枚強に書き直すことになったとき、光世さんが洞爺丸遭難事件のことを入れてはどうかと提案して、二人は函館まで行って調べることにしました。エッセイ集『それでも明日は来る』を見ますと、『氷点』連載半年ほどたった昭和40年5月、三浦夫妻は函館教育大学の美術の教授渕上巍氏を紹介されて、体験談を聴きました。
2020年9月26日(土) / 最終更新日時 : 2020年9月26日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 洞爺丸台風と洞爺丸遭難事件 洞爺丸遭難事件は、1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号(洞爺丸台風)により起こった、日本国有鉄道(国鉄)の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。