2020年7月13日(月) / 最終更新日時 : 2020年7月13日(月) 森下 辰衛 三浦光世 夫は妻を自分のからだのように愛すべし 翌7月13日の朝は、二階から階段を降りるのに、今までにないほど難儀しました。一段ごとに尻もちをつくのです。光世さんは綾子さんの左手をとって先導しました。声を大にして励ましても、綾子さんは一段ごとに坐りこみました。光世さんも汗をびっしょりかくほどでした。洗面をする力もなく、熱を計ると高熱でした。熱は午後には39度8分まで上がりました。
2020年6月28日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 光世さんの最後の祈り― 『道ありき』文学碑除幕式 真実に生きようとして傷つき、心も体も死の淵にいた一人の女がふしぎな光に刺し貫かれた日、魂の再生の物語は始まりました。三浦綾子の人生に大転換が起きたのです。この事件の舞台となった春光台の丘に立つと、彼女の魂の声が聞こえてくるようです。2014年6月28日(土)、この地に三浦綾子『道ありき』文学碑が建立され、除幕式が行われました。
2020年6月18日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 ベッドの中の澄んだ大きな瞳は美しかった 案内された堀田綾子の六畳の病室はクレゾール匂う装飾のない質素な部屋でした。木製のベッドの上に彼女は身を横たえていました。ギプスベッドで寝返りも打てないその人の顔はむくみを帯てはいましたが、澄んだ大きな瞳は美しく印象的でした。 「寝ているだけの病気です」 ベッドの傍らで聴いたその声は澄んでいて、弱々しい響きではありませんでした。
2020年5月7日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 三浦綾子と天国の希望 上 綾子さんが天国というものを初めてはっきりと意識したのは、前川正さんが亡くなった時だったと思います。『道ありき』にはこう書かれています。 わたしはその時になって、初めて天国を思った。昨年の七月、敬愛する西村先生を失い、それから一年もたたぬうちに、前川正も天に召された。当時のわたしは、この世よりも、天国のほうが慕わしく思われてならなかった。
2020年4月14日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月7日(火) 森下 辰衛 被造物の福音 黒き馬静かに蹄切られ居り ― 三浦光世の短歌 ③ 黒き馬静かに蹄切られ居り曲げし前足を人に抱かれて まだ馬が輸送や農耕に使われていた時代でした。でも、何千年も続いて来たその関係が終わろうとしていた時代でした。北海道でも馬橇や馬車は昭和三十年代から四十年代には急激に減って、自動車に代ってゆきました。
2020年3月25日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月7日(火) 森下 辰衛 三浦光世 祖父逝きし後の幾夜を平仮名を ― 三浦光世の短歌 ② 祖父逝きし後の幾夜を平仮名をたどりつつ聖書読みゐし祖母よ 父貞治さんが逝き母シゲヨさんが髪結い修行に出て、光世さんは母方の祖父宍戸吉太郎さんの家に預けられました。祖母モトは吉太郎の後添いでしたが、無類に優しい人で、血のつながらない子どもたち(光世さんの母の弟妹たち)も「実の母より優しかった」と言っていたほどだったようです。
2020年3月21日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月7日(火) 森下 辰衛 三浦光世 幼吾ら三人を置きわが母を置き ― 三浦光世の短歌 ① 幼吾ら三人を置きわが母を置き昭和二年父逝けり三十二才にて 1927(昭和二)年、三歳で父を喪った光世さんが、勿論そのときには何も分かる年齢ではなかったのですが、長い時間を経て、大人になり、わずか三十二歳で逝った父貞治さんのこころを思って詠んだ歌です。まだ二十代だった妻シゲヨさんと幼い三人の子ども(長女は既に親族の家に養子に出していました)を置いてゆかねばならなかった辛さを想いみると、きっと一人一人のこれからへの心配に、父は胸が絞られるようだっただろう。