シモーヌ・ヴェイユと三浦綾子
今日8月24日はフランスの思想家シモーヌ・ヴェイユが亡くなった日です。1943年、第二次世界大戦中に英国アシュフォードで、彼女は34歳で客死しました。「戦後フランスの精神的再建への青写真」の作成に最期の力を注ぎながらも、彼女にとってナチスドイツに蹂躙され傷つけられた祖国の苦しみを感じつつ離れてあることは、強い痛みでもありました。
シモーヌ・ヴェイユは1909年2月3日、フランスのパリに生まれました。父はユダヤ系の医師で、兄のアンドレ・ヴェイユは数学者でした。シモーヌ・ヴェイユの34年の生涯は「地表に蔓延する不幸」との闘いでした。教室で、自動車工場で、内戦下のスペインで、祖国を追われ大戦下のロンドンで、人間を非人間化する力を全身で体験し痛みつつ闘い思索した生涯でした。戦後、遺された彼女のノート(『カイエ』)の一部が知人の編集で箴言集『重力と恩寵』として出版されベストセラーになりました。
今日は私が初めて書いた三浦綾子についての文章「三浦綾子『雪のアルバム』とシモーヌ・ヴェイユ」から、ヴェイユにかかわる部分を若干訂正して読んで頂きたいと思います。また、これをお読み頂けると、過日載せました「蜘蛛の糸」についての思索やアンネ・フランクについての考察とつながるものを読み取っていただけるかと思います。また、この機会にシモーヌ・ヴェイユの著作を読んでいただけると、何よりうれしいです。
三浦綾子『雪のアルバム』とシモーヌ・ヴェイユ(抄)
【見ること】
リルケは『マルテの手記』の冒頭近くで「僕はまずここで見ることから学んでゆくつもりだ。」(注1)と書いている。マルテ=リルケにとって「見ること」は生得的、自然的なことではなく、努力と訓練によって習得し熟達してゆくべき能力なのであった。
そして「見ること」は「捕まえる」術ではなく、むしろ「捕まえられる」事件なのである。マルテは続けて書く。「なんのせいか知らぬが、すべてのものが僕の心の底に深く沈んでゆく。ふだんそこが行詰りになるところで決して止らぬのだ。僕には僕の知らない奥底がある。すべてのものが、いまその知らない奥底へ流れ落ちてゆく。そこでどんなことが起るかは、僕にはちっともわからない。」このように蓋の閉じられていない器として、自らを開いてあらしめることは、強靭な忍耐の力を必要とするであろう。それは痛苦を伴う修業、甚だしい忍従でさえある。そして更には、「そこでどんなことが起るか」を見守る忍耐強さも要求されるのである。「見ること」は単純に能動的な行為ではなく、受動的にして受苦的なことなのである。しかも「否定なしに」見ることが目指されるべきである。
三浦綾子の『雪のアルバム』では、終章で、主人公浜野清美が「私は『三分の黙想』という本に、〈不幸な人の不幸に気を配ることは、実に稀な、困難な能力である〉というシモーヌ・ヴェイユという人の言葉を見ました」と書いている。このシモーヌ・ヴェイユの引用はF・バルバロ編『三分の黙想』(ドン・ボスコ社)によるものであるが、この本には『続氷点』で陽子が茅ケ崎の祖父から教えられた言葉として出てくる「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」というジェラール・シャンドリの言葉も採られており、三浦綾子の文学に少なからぬ示唆を与えた本である。この『三分の黙想』は出典を記していないが、このヴェイユの文章は『神を待ち望む』所収の論文「神の愛のために学校の勉強を活用することについての省察」の結論部に出てくる。そこでは次のような文脈の中に置かれている。
注意を実体とするものは神への愛だけではない。それと同じ愛であることが知られている隣人愛も、同じ実体でできている。不幸な人たちには、この世では彼らに注意をはらうことのできる人々しか必要ではない。不幸な人に注意する能力は大変にまれで、むずかしいものだ。これはほとんど奇蹟に近い。これは一つの奇蹟である。この能力を持っているつもりの人々が、ほとんどみな持っていない。熱意も心の躍動もあわれみも十分ではない。
グラールの最初の伝説では、聖なるいけにえの力ですべての飢えをみたす奇蹟の石グラールを手に入れる人は、この石を保管している王に向って最初につぎのように言った人だ。その王はひどい傷で体の大部分がまひしているのだが、彼に向って、「あなたの苦しみはどんなですか」と言う人がグラールをえるのだ。
隣人愛にみちているということは、ただ隣人に向って、「あなたの苦しみはどんなですか」とたずねることだ。それは不幸な人が集合体の単位としてではなく、「不幸な人」というレッテルをはった社会の階級の一例としてでもなく、わたしたちによく似た人間がある日不幸によってだれもまねのできない刻印をおされたものとして、存在するということを知ることなのだ。そのためには、その人にある種の視線を向けることを知っていればよいのだが、またそれが欠くべからざることだ。
この視線は第一に注意深い視線である。このとき魂はありのままに、すべての真実において見ている存在をそれ自身において受けいれるために、魂自身の内容をすべてからにしている。注意のできる人だけにそれができるのだ。(注2)
シモーヌ・ヴェイユは『重力と恩寵』(注3)で、宇宙には重力と恩寵という二つの力が君臨していると言う。万物が重力の法則に従うように、魂もそれを神から反対の方向に落としてゆく重力の法則に支配される。神は人間を存在させるために、創造以来、自らは背後に退いて、すべての被造物の世界を必然に委ねた。それゆえ、魂もまた重力の法則に従うのだとヴェイユは考える。すなわち魂は常に神から離反して落ちて行く性質を持っていると言うのである。
「神の愛のために学校の勉強を活用することについての省察」の引用した部分では、他者の不幸に目を留めるということの神的な愛の性質が語られている。不幸な人を注意をもって「見ること」、『あなたを苦しみはどんなですか』と問いながら「見ること」に努めることは重力に抵抗することである。
「この視線は第一に注意深い視線である。このとき魂はありのままに、すべての真実において見ている存在をそれ自身において受けいれるために、魂自身の内容をすべてからに」しなければならない。ここに「見ること」のあるべき質が語られている。「真実」を見ることは「受け入れる」ことであり、否定なしに「ありのまま」に受け入れることは、魂を空にすることによってのみ可能なことなのである。
「自分が不幸なときに、じっと不幸を見つめられる力をもつには、超自然的なパンが必要である。」(注4)とヴェイユは言う。また「注視できないもの(他人の不幸)を逃げださずに注視すること。好ましいものを近づかずに注視すること。これが美である。[逃げる方法はいくらでもある。]」(注5)とも書いている。この「逃げる方法」として、ヴェイユは別の断片では「内的な慰め」さえ挙げる。この「慰め」さえも拒否した苛酷さと表裏の潔さは、十字架の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(我が神、我が神。どうして私をお見捨てになったのですか)」という喘ぎの声へと自らを追いゆくことである。それゆえ次のようにも彼女は言う。「不幸な人間という光景は神との接触を経験していない注意力を遁走させるからである。/ひとり神のみが不幸な人間に注意を向けることができる。」(注6)「注意力は、それが真の神を忌避するように、不幸をも忌避する。同様の自己保存本能がはたらくのだ。両者とも魂におのれの虚無をいやでも感知させ、身体はまだ生きているのに魂に死ぬことを強いるからだ。」(注7)単なる注意力ではない、魂が死ぬことをさえ承認したような強度をもつ注意力をもって「見ること」が必要なのだ。
そしてヴェイユは「他人の不幸を、自分もそれに苦しみながら受け入れること」(注8)と言う。これはリルケが『マルテの手記』において記述している「見ること」の質を精確に、しかし最も押しつめた形で言いあてているのだが、それはキリストの〈愛による受難者〉の本質にも見事に重なっている。そしてそれは人にはできないことである。ただ恩寵によるしかないと、ヴェイユは考える。
【執着と補償作用がありのままに見ることを阻害する】
この世の現実は、わたしたちがわたしたちの執着をもってつくり上げたものである。それはあらゆるものの中に、わたしたちが運びこんだ〈われ〉の現実である。そんなものは全然、外部の現実ではない。外部の現実は、まったく執着を離れたときに、やっと感じとられるのである。(注9)
ヴェイユはありのままに見るということ、殊に不幸をありのままに見ることが重要であると主張する。そのために、執着や、補償欲求や、安易な慰めを含む一見宗教的と見える様々な妄想や、そういったものを真理に対する皮膜として鋭く排除しようとする。そしてありのままに見ることの厳しさの中に立つこと、むしろ立ち尽くすべきことを語る。
『雪のアルバム』の清美は告白する。「先生、私は加奈崎の倒産と行方不明を知って、(ざまあみろ)と思い、(ああ、これで勘定はきっちりと合う)とさえ思ったのです。」そして、その底に「日陰に」いた者の「恨み」と「嫉妬」があったことを彼女は意識している。この「(これで勘定はきっちりと合う)」という考え方は『天北原野』においても、主人公孝介が、放火という方法まで使って自分たち一家を村から追い出し婚約者を奪った敵である完治が吹雪の中で行方不明になり、その母が危篤になる場面で、「完治が凍死し、おふくろと一緒に葬式を出す。それで勘定がきっちり合うというものだ」という内的独白の部分に出てくるもので、三浦綾子も人間の性質の一つとして捉えているが、ヴェイユも「自分が苦しんでいるのと同じ苦しみを、他人がまったくそのままに味わっているのを見たいという欲望」(「真空と補償作用」)を人間に普遍的に働く重力的作用のひとつと観ている。「わたしたちに悪が加えられ、その悪のためにわたしたちが低みへおとされるとき、悪を加えた者をゆるすことは不可能だ。その悪がわたしたちを低みへおとしたのではない、わたしたちの実際の程度をあきらかにしてくれたのだと、考えねばならない。」(同前)
人間がゆるすということの不可能さ。ゆるすなら自分の中の真空は真空のままに残る。真空とは空気のない空間であるから、息ができず窒息するか、さもなければ「かまいたち」に身を斬られるかという場所である。真空が真空のままで自立することは自然法則に反している。真空は必ず何かで埋められ補償されねばならない。しかし、ヴェイユは言う。「その悪がわたしたちを低みへ落としたのではない」と考えるべきだと。もともとそのような低さに居たのが顕らかにされただけなのだ。すなわち、ここでも課されるのは、その真空から逃げないこと。他の何物によっても補償してしまうことなく、その「低み」にある自らをはっきりと見据えることである。
ゆるすこと。そんなことはできない。だれかがわたしたちに害を加えたとき、わたしたちの中にはさまざまな反応が生じる。復讐したいというねがいは、何より本質的な均衡回復へのねがいである。こういう次元とはちがった次元で均衡を求めること。自分ひとりで、この極限にまで行きつかねばならない。そこで、真空に接するのだ。(同前)
「均衡回復」ではなく、「自分ひとり」で、「真空」という「極限にまで行きつかねばならない」とヴェイユは言う。それは十字架につくことである。「他人の不幸を、自分もそれに苦しみながら受け入れること」と十字架の本質の表裏をなす相である。
三浦綾子は『雪のアルバム』の「『小学館ライブラリー版』出版にあたって」(一九九二年九月)という自解では、「二十三歳という年齢では負いきれぬ痛みを、彼女は耐え忍びつつ一心に生きている。思わぬことから歪んだ道を歩むことになった主人公清美の人生を通して、私は人間の持つ罪について少しく考えてみたかった。そして、いかにしてその辛さから逃れ得るのかを、彼女と共に考えたかった」と言う。「耐え忍びつつ」生きるということは、負いきれぬ不幸を投げ出さずに、また目をそらさずにいることであろう。自己の不幸を見つめることが、ちょうどその裏面から刺繍を施すように、その果てに、神を見出だすことへと重なってゆく。物語の道筋はそのように展開してゆく。
注
1『マルテの手記』大山定一訳・新潮文庫・一九五三年六月
2『シモーヌ・ヴェイユ著作集Ⅳ神を待ち望む他』渡辺秀訳・春秋社・一九六七年一一月
3『重力と恩寵』田辺保訳・講談社文庫・一九七九年一月
4「真空と補償作用」『重力と恩寵』内の章
5「アメリカ・ノートⅠ」『カイエ4』冨原眞弓訳・みすず書房・一九九二年一月
6「アメリカ・ノートⅥ」邦訳は注5に同じ『カイエ4』冨原眞弓訳・みすず書房・一九九二年一月
7 注6に同じ
8「カイエⅦ」『カイエ2』田辺保・川口光治訳・みすず書房・一九九三年七月
9「執着から離れること」『重力と恩寵』内の章
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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