2021年7月13日(火) / 最終更新日時 : 2021年7月13日(火) 森下 辰衛 三浦綾子読書会 “最後まで耐え忍ぶ者は救わるべし”- 黒江勉さんを偲んで 2021年1月28日、黒江勉(くろえつとむ)さんが95歳で亡くなられました。三浦夫妻と最も長い期間友人であった方の一人で、前川正と三浦光世の両方を生で見たことのある数少ない証言者の一人でもありました。 黒江さんは1925(大正14)年6月12日、父三郎さん、母トヨさんの第一子長男(五人兄弟となる)として札幌で生まれました。
2020年12月29日(火) / 最終更新日時 : 2020年12月30日(水) 森下 辰衛 前川正 奇跡がないとしたら ― 前川正とリルケ 12月29日はリルケの命日です。前川正はリルケの代表作である『マルテの手記』と書簡集(こちらはドイツ語で、自分で訳してもいたようです)を愛読していました。前川は、『マルテの手記』の主人公マルテが「淋しくてならぬ、悲しくてならぬ時は」博物館に行ったと書かれているのに倣って、自分も悲しいときには図書館に行くのだと綾子宛の手紙に書いています(『生命に刻まれし愛のかたみ』p.30)。
2020年12月28日(月) / 最終更新日時 : 2023年6月28日(水) 森下 辰衛 小説 李(すもも)―前川秀子から綾子への手紙 抄3 三月末、ぬかるんでいた道の雪も少なくなって、馬糞風が吹き始めるころでした。札幌の大学近くの下宿の住所で、あの子から葉書が来ました。大学病院で診てもらった結果を簡単にしるしたあと、「一年遅れの成人のお祝いのようです」と、一行書かれていました。青いインクのいつもと変わらない文字でした。それから、身の回りの片づけをして旭川に帰って来た日、夕食が終わって、お茶を出すとき、柱時計が八回鳴りました。
2020年11月16日(月) / 最終更新日時 : 2023年6月28日(水) 森下 辰衛 小説 李(すもも)― 前川秀子から綾子への手紙 抄 2 珍しく雪の遅い年でした。胸を病む人のいる家にはありがたいことでしたが、でも季節はいつまでも猶予してはくれません。その日、昭和二十八年の十一月十六日、お昼から旭川に初雪が降り始めました。気温も下がって初雪がそのまま根雪になりそうな気配でした。雪を見た正は、あなたの家に行くと言いだして、着替えを始めたので、驚きました。
2020年11月10日(火) / 最終更新日時 : 2020年11月10日(火) 森下 辰衛 文学散歩 秋の春光台公園文学散歩 春光台公園は、旭川市中心部から北へ約5 kmに位置し、なだらかな丘陵地に帯状にある面積52.42ヘクタールの公園です。国道12号(旭川新道)が公園南側を通り、北海道道72号旭川幌加内線が縦断して公園を東西に分けています。園内東側の沢筋には約750mに渡ってミズバショウが自生しています。三浦綾子の自伝小説『道ありき』の舞台です。
2020年10月26日(月) / 最終更新日時 : 2020年10月26日(月) 森下 辰衛 前川正 前川正から贈られた『きけわだつみのこえ』 1949(昭和24)年10月26日(水)、堀田綾子は前川正から『きけわだつみのこえ』を贈られました。正は扉裏に以下のように書いていました。 これは全く私達と同じ世代の友達の声 而も彼等は死に 私達は生きた 私達の生は 彼らに負ってゐる さあ、更めて かつての自分たちの声を聴かう― 一九四九・一〇・二六 正 綾子様
2020年9月26日(土) / 最終更新日時 : 2020年9月26日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 洞爺丸遭難事件と『氷点』 『氷点』の懸賞小説入選が決まって間もなく朝日新聞からの依頼で、新聞小説の一日分三枚半を三枚強に書き直すことになったとき、光世さんが洞爺丸遭難事件のことを入れてはどうかと提案して、二人は函館まで行って調べることにしました。エッセイ集『それでも明日は来る』を見ますと、『氷点』連載半年ほどたった昭和40年5月、三浦夫妻は函館教育大学の美術の教授渕上巍氏を紹介されて、体験談を聴きました。
2020年8月25日(火) / 最終更新日時 : 2020年8月26日(水) 森下 辰衛 文学散歩 いたましくも尊いこと ー 文珠分教場の子どもたちとの別れ 1941(昭和16)年8月25日、歌市内の神威小学校の文珠分教場の二学期の始業式に合わせて離任式がありました。秋から堀田綾子先生は旭川の啓明小学校に移ることになったからです。16歳11か月から19歳4か月までの約2年半、人生で初めて家族と離れて住んだ地神威を、綾子さんは去りました。
2020年8月22日(土) / 最終更新日時 : 2020年8月23日(日) 森下 辰衛 文学散歩 手を伸ばせば天井に届きたりき ー 三浦光世の短歌➅ 手を伸ばせば天井に届きたりきひと間なりき吾等がはじめて住みし家なりき 光世さんは三歳の時に父親を結核で亡くしています。父を殺した菌は光世少年の中にも侵入し十七歳のときには腎臓結核で腎臓を片 […]