2020年8月15日(土) / 最終更新日時 : 2020年8月15日(土) 森下 辰衛 ホロコースト あなたは、わたしの孤独を支えてくれる唯一のもの ― ゼルマのアルバム 悲劇 最も重いことは、自分を投げあたえること、 そして人間とは余計な存在であると知ること、 自分をすっかりあたえること、そして人が煙のように 無に帰してしまうと考えることである。 ― 終わりまで書く時間がなかった。申し訳ないけど、これで許して下さい。これが私にできる精一杯の事 ゼルマ
2020年8月6日(木) / 最終更新日時 : 2020年8月6日(木) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 広島の母、浦上の母 ― 平和の祈りへ 『銃口』で、昭和20年8月21日、北森竜太と山田佐登志曹長は金俊明に助けられて下関へ帰還しました。その後、山田は広島に、竜太は旭川に帰って行きました。その竜太のもとに、しばらくして広島の山田から手紙が届きました。山田は原爆で跡形もなくなった家のあった場所に立って呆然としました。母は死んだと思いました。しかし「絶対この場にいたとは限らない。勝手に決めて絶望するのは止めろ」と言って励ましてくれる人がいました。
2020年8月4日(火) / 最終更新日時 : 2020年8月4日(火) 森下 辰衛 ホロコースト 「見て、ねえ、見て」― アンネ・フランクと三浦綾子 アンネの家族は、父母と、姉のマルゴと、アンネの四人家族でした。有名な『アンネの日記』は、1942年6月12日、13歳の誕生日に父オットーから贈られたサイン帳に書かれました。1942年7月5日、マルゴに対してユダヤ人移民センターに明日出頭するようにとの命令が来たことから、6日朝一家は準備していた隠れ家に移動しました。 『アンネの日記』は、このアムステルダムの隠れ家生活の中で書かれました。1942年7月6日から、1944年8月4日までの隠れ家生活でした。
2020年8月3日(月) / 最終更新日時 : 2020年8月3日(月) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 「片隅のいのち」 「片隅のいのち」は、1973年8月3日号の「週刊朝日」に掲載された三浦綾子さんの短篇小説です。朝日新聞社刊の『三浦綾子作品集第五巻』と主婦の友社刊の『三浦綾子全集第六巻』に収録されています。本来なら短篇集『毒麦の季』か『死の彼方までも』に入っているべきものですが、単行本には未収録です。『石ころのうた』の完結の月、『細川ガラシャ夫人』の連載中でした。
2020年8月1日(土) / 最終更新日時 : 2020年8月1日(土) 森下 辰衛 長野政雄 『塩狩峠』長野政雄の聖書 下 昨日7月31日は『塩狩峠』の主人公永野信夫のモデル長野政雄の誕生日でした。1880(明治13)年でしたから、140年になります。塩狩峠での殉職事故から100年だった2009年の記念の時に研究して考えたことをその後にまとめた文章です。想像も多く、若干の時代考証的問題もあるように思いますが、そのまま掲載します。研究なさる方の踏み台的参考資料にしていただければと思います。