2020年12月1日(火) / 最終更新日時 : 2020年12月1日(火) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 小林多喜二、いのちと家族の記憶-三浦綾子、守分寿男の仕事から 1903(明治36)年12月1日、小林多喜二は秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)に小作農家の次男として生まれました。少し古い資料では「10月13日」となっているものが多いようですが、それは旧暦の日付のようです。さて、小林多喜二と三浦綾子との関わりですが、1977年と言いますから綾子さんが『泥流地帯』を書いていた頃だったようですが、光世さんが綾子さんに小林多喜二の母を書いて欲しいと頼みました。
2020年8月16日(日) / 最終更新日時 : 2020年8月16日(日) 森下 辰衛 西村久蔵 岡藤丑彦 ― 西村久蔵の友 翌年の秋、突然O君は私の駐屯していた張家口をはるばる尋ねて来た。そして身を北京の朝陽門外の聖者と言われていた清水安三先生宅に置いた。彼の北支を訪れたのは長い長い真剣な祈りの結果、主のお答を得てのことで、その主因は「西村は軍隊に籍のあったばかりに、殺戮の戦場に立たねばならぬ。私はその罪の償いとして中華の人に奉仕せねばならぬ」という信仰からの決断であった。病後の身で妻子三人を残し、汽車賃百円だけ持っただけで主の御旨を堅く信じて戦乱の北支に来たのであった。