2020年11月7日(土) / 最終更新日時 : 2020年11月7日(土) 森下 辰衛 榎本保郎 いのり-阿南慈子さんと子どもたち 阿南慈子(旧姓奥村)さんは1954年11月7日、京都のクリスチャンの家に生まれました。父の名は奥村光琳。『ちいろば先生物語』で榎本保郎の信仰の導き手となる戦友して登場してきます。綾子さんと光世さんは、『ちいろば先生物語』の取材で慈子さんと出会ったでしょう。26歳で阿南孝也さんと結婚。二年後長男時也君、更に二年後長女七星ちゃんが生まれましたが、31歳で慈子さんは多発性硬化症(MS)を発病します。
2020年11月6日(金) / 最終更新日時 : 2021年3月19日(金) 森下 辰衛 おたより おたより ⑩ 最近いただいたおたよりの中から、一部を紹介させていただきます。ブログ記事を読んでくださった方がそれぞれの生活や人生の歩みや思い出の中で、ちょっと埋もれかけてたような大事なものを見つけ直しておられるのを感じさせていただき、感謝しています。応答して下さった素晴らしい詩もあります。
2020年10月12日(月) / 最終更新日時 : 2020年10月12日(月) 森下 辰衛 プライベート 綾子さんからのお知らせ ー 10月12日の思い出 その日、綾子さんのことも旭川のことも何も知らないで、福岡の自宅で夕食を終えた私は、自室で、少し古い日本の歌をCDで聴きながら軽い仕事をしていました。かぐや姫というグループのベスト盤CDで、何曲か目に「あの人の手紙」という歌が流れました。歌は南こうせつさん、詞は伊勢正三さんで勿論よく知っている曲です。
2020年10月9日(金) / 最終更新日時 : 2020年10月10日(土) 森下 辰衛 文学散歩 十勝岳連峰、裾野の秋 十勝岳裾野の秋です。9月は長友あゆみさん、10月は近藤弘子さんに車をお願いして、プチ文学散歩しました。再来年あたり『泥流地帯』の映画が出来たら、皆さんで文学散歩しましょう。
2020年9月17日(木) / 最終更新日時 : 2020年9月22日(火) 森下 辰衛 三浦綾子 「あ、男だった!」ー 初めて綾子さんに会った日 一九九五年九月一七日日曜日。その日は私にとって生涯忘れ得ない日になりました。旭川六条教会で三浦綾子さんと光世さんに初めてお会いした日だからです。この年春から福岡女学院短期大学のゼミの授業で三浦綾子を取り上げて読み始め、前期が終わった夏休みに、ゼミの研修旅行で13人の学生を連れて、初めて飛行機に乗り、初めて北海道に来たのでした。
2020年7月19日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月19日(日) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 「最愛」― 開け放たれた庭にバラが咲いた― 三浦光世の短歌⑤ その日は、彼と初めて会った日のように、美しく晴れ渡っていた。わたしは、開け放たれた庭を、ベッドの上に起き上って眺めた。大輪のバラがほころび、わたしは何かいいことがあるような予感がした。忘れもしない七月十九日だった。三浦光世から部厚い封書が届いた。手紙には、あなたの死んだ夢を見て、涙のうちに一時間あまり神に祈った。役所に出勤しても、しばらく瞼が腫れていたとあり、わたしの名の上に「最愛なる」という字が冠してあった。
2020年7月16日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月16日(木) 森下 辰衛 三浦光世 君を想ふ夕べかなしくて ― 三浦光世の短歌④ 君を想ふ夕べかなしくて袖に来し白き蛾を鉢の菊に移しぬ 光世さんが綾子さんと出会って、一年後の夏の歌です。この歌に詠まれた夕べの「かなし」さは、「君」への愛しさでもあるけれども、ギプスベッドに捕われのその人の病状の深刻さを想い心配する「かなしさ」でもあるでしょう。日本語の「かなし」が「愛し」と「悲し」との二つの要素を持つこと、あるいは根源的には一つであって、分けがたい深みでの悶えと祈りの心であることが、よく分かる歌です。
2020年7月13日(月) / 最終更新日時 : 2020年7月13日(月) 森下 辰衛 三浦光世 夫は妻を自分のからだのように愛すべし 翌7月13日の朝は、二階から階段を降りるのに、今までにないほど難儀しました。一段ごとに尻もちをつくのです。光世さんは綾子さんの左手をとって先導しました。声を大にして励ましても、綾子さんは一段ごとに坐りこみました。光世さんも汗をびっしょりかくほどでした。洗面をする力もなく、熱を計ると高熱でした。熱は午後には39度8分まで上がりました。
2020年6月28日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 光世さんの最後の祈り― 『道ありき』文学碑除幕式 真実に生きようとして傷つき、心も体も死の淵にいた一人の女がふしぎな光に刺し貫かれた日、魂の再生の物語は始まりました。三浦綾子の人生に大転換が起きたのです。この事件の舞台となった春光台の丘に立つと、彼女の魂の声が聞こえてくるようです。2014年6月28日(土)、この地に三浦綾子『道ありき』文学碑が建立され、除幕式が行われました。
2020年6月18日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 ベッドの中の澄んだ大きな瞳は美しかった 案内された堀田綾子の六畳の病室はクレゾール匂う装飾のない質素な部屋でした。木製のベッドの上に彼女は身を横たえていました。ギプスベッドで寝返りも打てないその人の顔はむくみを帯てはいましたが、澄んだ大きな瞳は美しく印象的でした。 「寝ているだけの病気です」 ベッドの傍らで聴いたその声は澄んでいて、弱々しい響きではありませんでした。