『母』三浦文学のもう一つの集大成 ー オンライン講演会のご案内

    3年半にわたった『銃口』連載の半ばを少し過ぎた1992年3月、『母』は書き下ろし単行本として刊行されました。前々月にはパーキンソン病の診断が下っていますから、『母』の仕上げはパーキンソン病の兆候を感じながらであったことは間違いないでしょう。
    『銃口』に比して『母』は四分の一程の量で中編という方が良いかも知れない作品ですが、これもまた『銃口』と並ぶ三浦綾子文学の集大成であったと思います。それは、『母』が『銃口』よりも長い10年もの月日をかけて書かれた作品であることからも、推察出来ます。本格的に伝記小説を書き始めた『愛の鬼才』の直後から『母』は構想され、十年に渡る伝記小説のほぼ全部の時期を通して、つまりはそれらの作品作品の要素をも含み込みながら熟していった作品だったのです。
    また、テーマ的に見ても、『母』は三浦文学全体からつながる集大成でした。
    例えば、『母』は『氷点』と対応する、“子どもを殺された母”の物語でした。辻口夏枝と小林セキ、全く対照的な二人の母に、私たちは綾子さんの家庭観、女性観を探ることが出来るでしょう。
    また、『母』は『塩狩峠』から始まった三浦綾子伝記小説の最後の作品です。永野信夫と小林セキ、全く異質な主人公の物語ですが、一筋に生き抜いた人生と、その背景に日本の近代化の歩みの質を捉えようとしている点も共通しています。それは、『岩に立つ』以降の本格的な伝記小説の時期の日本近代史への強い関心と掘り込みとも連なっています。そして、他の伝記小説と同じく、聖書の言葉に出逢い変えられてゆく物語でもあります。
    そして、『母』は、小林セキが生まれ育った秋田の思い出を語る「ふるさと」の章から始まりますが、これは『続泥流地帯』において印象強く提示された“なつかしいもの”の系譜です。そして、その“なつかしいもの”はいつも、苦難という三浦文学の最大の主題のひとつとも強く関わってゆきます。
    あるいは、『母』で語られる多喜二とタミの恋愛はどうでしょう?あるいはセキと末松の関係はどうでしょう?堀田綾子と前川正の関係や三浦夫妻、明智光秀の夫妻などを彷彿とさせるものではないでしょうか?
    また、少し細かい視点ですが『氷点』以来時折描かれ続けて来た“タコ(最下級労働者)”の文学でもあります。『銃口』でも金俊明が逃亡タコとして登場しますが、それとはまた少し違う視点で、それは描かれています。
    こうして見てみると、『母』と『銃口』が、両方合わせて、三浦文学の集大成の総体であったようにも思えて来ます。そして、何より『母』は味わい深い傑作です。
    どうぞ、この機会にもう一度『母』をじっくり味わい、一緒に掘り直してみましょう。

    オンライン講演会『母』一回目は4月9日14時から、オンラインzoomによって開催されます。

    お問い合わせ、申し込みは、    gospelerpine@yahoo.co.jp(松下さん)まで。