2022年8月12日(金) / 最終更新日時 : 2022年8月12日(金) 森下 辰衛 見逃し配信 見逃し配信動画のご案内:朗読会「李 すもも ~ 前川秀子から綾子への手紙」 朗読会の見逃し配信動画、ご視聴いただけます。前川正の母秀子が息子の人生を語る物語。『道ありき』の研究と前川正の人生と信仰への思索から生まれた、フィクションを含む短篇小説です。苦難の時、三浦綾子の物語は我々の希望ですが、絶望の日に前川正の生き方と思想は私の灯でした。
2022年7月13日(水) / 最終更新日時 : 2022年7月15日(金) 森下 辰衛 お知らせ 朗読会「李 すもも ~ 前川秀子から綾子への手紙」 前川正の母秀子が息子の人生を語る物語。完結編の朗読会をオンラインzoomにて開催します。『道ありき』の研究と前川正の人生と信仰への思索から生まれた、フィクションを含む短篇小説です。苦難の時、三浦綾子の物語は我々の希望ですが、絶望の日に前川正の生き方と思想は私の灯でした。
2022年3月26日(土) / 最終更新日時 : 2022年3月26日(土) 森下 辰衛 母 見失った“人間のふるさと”を探しに~オンライン講演会『母』 三浦綾子『母』の第一章の題は「ふるさと」。勿論、主人公セキの生まれ育ったふるさと秋田大館です。でも、それと共に、「人間にとってふるさととは何か」を描こうとしているのです。
2022年3月18日(金) / 最終更新日時 : 2022年3月18日(金) 森下 辰衛 母 『母』三浦文学のもう一つの集大成 ー オンライン講演会のご案内 3年半にわたった『銃口』連載の半ばを少し過ぎた1992年3月、『母』は書き下ろし単行本として刊行されました。『母』はパーキンソン病の兆候を感じながら仕上げられました。『銃口』に比して『母』は四分の一程の量ですが、これもまた『銃口』と並ぶ三浦綾子文学の集大成であったと思います。
2021年11月30日(火) / 最終更新日時 : 2021年11月30日(火) 森下 辰衛 お知らせ 青春の旅の終わりの夢、愛の使命に目覚める朝 オンライン講演会『道ありき』③のご案内 それはどんな旅だったのでしょうか。出張であったのか、私事の旅であったのか、それは判然としませんが、光世さんには光世さんの旅があったのです。そしておそらくは青年期という一つの旅の終わりを感じていたのでしょう。綾子さんへの愛が内実を持って育ち、「愛するか?」と問われるべき朝が来ていたのでしょう。出会いから一年後の昭和三十一年の七月の朝、光世さんは綾子さんがありありと死んでしまう夢を見ました。
2021年11月24日(水) / 最終更新日時 : 2021年11月24日(水) 森下 辰衛 お知らせ 6月のクリスマス~闇の中に光が来るとき オンライン講演会『道ありき』③結婚まで 今回のオンライン講演会では、三浦光世さんから堀田綾子さんに宛てられた手紙など新しい資料も使いながら、三浦夫妻の出会いから結婚までをお話しします。
2021年11月17日(水) / 最終更新日時 : 2021年11月17日(水) 森下 辰衛 DVD 新作DVD3タイトル出来ました。 新しい講演のDVDが3枚、出来ました。ご紹介します。『銃口』下、『塩狩峠』、三浦綾子の人生と文学の全般のお話です。
2021年9月12日(日) / 最終更新日時 : 2021年9月12日(日) 森下 辰衛 講演会 災害の時代の三浦綾子文学の可能性~『続泥流地帯』を教材にする つまり、希望や痛みを含んだ〈どう生きるか〉という精神の問題がこの小説には書かれているのである。 三浦綾子はすべての小説なかで『泥流地帯』『続泥流地帯』を最も易しい文章で書きました。それは子どもたちにも苦難は容 […]
2021年9月7日(火) / 最終更新日時 : 2021年9月7日(火) 森下 辰衛 お知らせ 二人はきっと二人だけの深い同伴者でした。~三浦綾子と遠藤周作 ー 講座のご案内 三浦綾子と遠藤周作は戦後日本文学を代表するキリスト教作家です。三浦綾子がプロテスタント、遠藤周作がカトリックで何かと対照比較されることのある二人ですが実は友人でもありました。一回目はまず、年表などを用いた基礎的な対照や現在分かっている交流などについて、森下代表がお話しします。
2021年8月11日(水) / 最終更新日時 : 2021年8月11日(水) 森下 辰衛 お知らせ 「あの人が生きたかったように生きなければ」と心に決めた綾子さんは、愛する人を喪った私を立たせてくれた。~オンライン講演会『道ありき』②のご案内 前川正を喪った堀田綾子は、その後の慟哭の一年の間に、何度も「私はあの人が生きたかったように生きなければならない」と自分に言い聞かせました。私を愛して、その愛のゆえに死んだその人。断ち切られたその人生の断面の余りに凄絶な美しさの前で、私たちは、私たちの生を通してその意味を証ししてゆく決心をせずにいられるでしょうか。人の生を深くするのは、そんな慟哭です。