カバゴジラ

その人をぼくは「おねえちゃん」と呼んでいた。けれど、ときどき、機嫌の悪い時や機嫌の良いときには「カバゴジラ!」と呼んだ。ぼくに姉はいない。兄がいるだけで、二人兄弟だ。カバゴジラは、母の妹だから、本当は叔母ということになる。でもぼくは小さいころ、カバゴジラを「おねえちゃん」と呼んでいた。

シオン・ガーデン

うなずいたばかりで、彼は何も言わなかった。かすかにうれしいような辛いような目をして、それぞれ、あるから、と独り言のように、ぽつりと言った。
それからも僕は注意深く様子を見ていたが、二人がつき合っている様子はなかった。図書館わきのガーデンは間もなく書庫の拡張工事で立ち入り禁止になった。背の高い雑草が生い茂り始めた間から、薄紫のシオンの花が咲き始めていた。

どら猫と一寸法師

私のあだ名はどら猫だった。これが女の子につけるあだなかよ?と思うが、いちばん私を知っている親がつけたのだから仕方ない。ぐるるる。
中学二年生の秋だった。どんな事情だったか忘れたけど、ある日曜日、私たち女の子四人と男の子四人のグループで映画を見に行った。その中に彼もいた。

李(すもも)― 前川秀子から綾子への手紙 抄

どうぞ、覚えてやってください。あの子は、神を恨みながら死んだのではありません。あなたに出会ったことを後悔しながら死んだのではありません。人生と運命を呪いながら死んだのでもありません。怯えながら、恐れながら死んだのでもありません。一度も何に対しても「ちくしょう!」と言わなかったのです。それだけは褒めてやりたいと思います。

李(すもも)― 前川秀子から綾子への手紙 抄 2

珍しく雪の遅い年でした。胸を病む人のいる家にはありがたいことでしたが、でも季節はいつまでも猶予してはくれません。その日、昭和二十八年の十一月十六日、お昼から旭川に初雪が降り始めました。気温も下がって初雪がそのまま根雪になりそうな気配でした。雪を見た正は、あなたの家に行くと言いだして、着替えを始めたので、驚きました。

李(すもも)―前川秀子から綾子への手紙 抄3

三月末、ぬかるんでいた道の雪も少なくなって、馬糞風が吹き始めるころでした。札幌の大学近くの下宿の住所で、あの子から葉書が来ました。大学病院で診てもらった結果を簡単にしるしたあと、「一年遅れの成人のお祝いのようです」と、一行書かれていました。青いインクのいつもと変わらない文字でした。それから、身の回りの片づけをして旭川に帰って来た日、夕食が終わって、お茶を出すとき、柱時計が八回鳴りました。