約束 ― 「桜の下」(『塩狩峠』)から

森下 辰衛

「人間には、命をかけても守らなければならないことがあるんだよ。わかるか?」

  約束を守らなかったけれど約束を守った信夫。それは皮肉にも見え、淡い慰めにも見える。しかしなぜ、信夫はふじ子との約束を守らなかったのか?それは、信夫がそれよりももっと大きな別の約束を守ったからではないか?だからそれは、約束を破ったのでなく、もう一つ大きな約束でその約束をも包み果たしたということなのではないか。たぶん、そのことに気づいたふじ子は、「私は一生信夫さんの妻として生きてゆく」という決心、すなわち約束をする。もう一つ大きな約束に生きて死んだ信夫を引き継いで生きるという、また一つ大きな約束の中で、信夫が待っている約束の場所である天国に向けて歩んでゆく約束が始まったのだ。それは、彼女をいつもいつも支え守っただろう。この地上での実際の結婚の約束を守らなかった信夫も、この地上での実際の結婚の約束を守ってもらえなかったふじ子も、もっと上を向いてすべてを包むようなもっと大きな約束を見いだす人間であったのだ。

※この続き、ふじ子の物語は『雪柳』をお読みください。

『塩狩峠』から『雪柳』の世界 ― 物語の中に観えてきた光

遠藤 優子(三浦綾子文学研究者)

「あなたが落ちて死なれて、そのいのちをくださったとき、悲しみに引き裂かれたわたしのなかで、あなたのいのちがそのまま一つの約束となったのです」

綾子さんの作品の多くは、続きが気になるところで終わっているとも言えそうです。

かつて、水谷昭夫師が綾子さんに、「『氷点』を書かれたとき『続氷点』のストーリーを想定していなかったということですが、よく続編を書かれましたね」と言いました。
「続編は、いくらでも書けるわよ」という綾子さんの答えを、私はそばでぽかんと聞いていたものでした。

ヒロインのそれからが心配という想いをひきずる作品『塩狩峠』の「のちの物語」を森下師が書かれた! 期待して『雪柳』を読みました。びっくりしました。受け身でひっそりと生きてきたふじ子さんが弱さを抱えたまま世に遣わされていった半生の物語です。事件から3か月を経て雪柳の白い束を線路の上におき、そこに打ち伏して号泣した「結婚式」の時から、ふじ子さんは自身の内にある信夫のいのちとともに、生きました。そのいのちは、数十年にわたって、ふじ子さんが置かれた世界を変え、ふじ子さんの中の「苦楽生死均しく感謝」の想いを熟させていきました。

八十を幾つも過ぎてなお婚約者を待つ娘として、永野信夫の妻として、信夫ならこうしただろうという道を選びとってきた地上人生の終着駅を前に、ふじ子さんが信夫にしたためた手紙が語る物語です。

ふじ子さんは、まず事件から半年経ったら泣くのをやめようと決めました。夏の終りに信夫の母を訪ねました。信夫とそっくりの気迫を持っていた母は、極限の苦悩、怒りを経ながら、信夫の死を感謝して受け入れようとしていました。信夫が人間の中にある何かの限界を破ったことで、信夫が選んだような生き方が「多くの人に可能になった」「わたしにもそれができると、励ましてくださったのではないか」ということにふじ子さんも目を開かれます。

上京し、親に恵まれない子どもたちのための施設で働くことになりました。多くの子どものお母さんとなって思いきり愛を注いでいたふじ子さん、うんと年下の人から結婚を申し込まれるほど、輝いていた姿がうかびます。

ところが、関東大震災です。施設は建物のほとんどを失ったにも関わらず、多くの孤児が連れてこられました。『氷点』の幼女殺し犯を思い起こさせる少年のように、両親を失い辛そうな世界に引き取られていった子もいました。さらにスペイン風邪の流行で、ふじ子さんのいのちがけの祈りにも関わらず、多くの子どものいのちが奪われてゆきました。

その後は、太平洋戦争です。出征を前にした人からの手紙を通して、信夫が助けた当時6歳だった幸恵が短いいのちをかけて『アイヌ神謡集』を遺したことが語られます。信夫が、少数の「弱い」人たちが大切にしてきたものを広い世界に引っ張り出す働きをしたことがわかります。

昭和二十年の大空襲の日には、信夫の遺品を背負い、火に囲まれて必死で走りました。燃える木の枝が自分の上に落ちてきて意識が遠のきます。気づくと、誰かが背負って火の中を走ってくれていました。つぶれた屋根の下で早く逃げろと叫ぶ母を置き去りにした罪責感に突き動かされたかのように助けてくれた人は、また他の誰かのために元来た方に走り去っていったのでしょうか。

戦後、ある島に、短歌を作るハンセン氏病の人を訪ねました。口述筆記をする人が必要であることを痛感し、「永野信夫の妻として」その人と結婚する決心をします。けれど、兄の承諾を得るために一旦島を去った間に、その人は亡くなってしまいました。

この世では悪しき力が、いのちも愛も生きた証も滅ぼそうと迫ってくるかのようです。連結からはずれた大きな汽車を止めようとした小さな信夫の行為は、誰ともわからない「友」のためにいのちを捨てる愛を開きました。ある人には「傷つけられ」たと非難さえされる愚かな行為だったかもしれません。その愚かさを持ってふじ子さんも、アイヌの謡を遺すために和人の世界にのりこんだ幸恵も、知らない人を戦火の中から救った男も、島の歌人も、生き、世を去ってゆきます。滅びに向かう流れに自ら呑まれながらなおそこから誰かを引っ張り上げようと自分を捧げる人たちは、世のすべてのものの中にある信夫のいのちを見せてくれていることに気づかされました。  

あの日、暴走する汽車に乗っていた人たちだけではなくこの世すべてのいのちを愛した信夫のいのちをふじ子さんが生ききることで、『塩狩峠』の世界が「すべてのことが良かった」という完成を見るのでしょうか。「約束」を守る信夫と、その信夫と再会できる日を待つふじ子さんのいのちが読む人の内で灯となってくれるように想いました。

『三浦綾子読書会会報』 ~三浦綾子作品から観えてきたもの~ より転載


『雪柳 ふじ子から天国の永野信夫への手紙 —『塩狩峠』のちの物語』
著/森下辰衛 2018/10発売


三浦綾子『塩狩峠』は、読んだすべての人に大きな衝撃と感動を与える物語だと思いますが、最愛の恋人永野信夫を喪ったヒロインふじ子がそのことをどう受け止め、その後の人生をどう生きて行ったかは、大きな問いとして残されているとも言えるでしょう。この『雪柳』は、そのふじ子が人生の終盤になって、天国の信夫に宛てて書いた手紙という形式で、その部分を読み解き考えようとしたもので、『塩狩峠』の読解と実在のモデル長野政雄についての検証も用いながら、フィクションを交えて書いた短篇小説です。この物語を通して皆さまが『塩狩峠』の隠されていた豊かさを発見される助けになりましたら、幸いです。